インターゼミ2011(18)

この日は13時から1年生のためのホームゼミ説明会。そこで中庭ゼミの説明をしてから、九段キャンパスにかけつけた。
学長からは、「明治3年にはGreat Northan Telecom(デンマーク)が海底ケーブルでウラジオストクと長崎を結んでいた」「ネットとメディアの融合の希有な成功例としてのデンマークラジオ」「日本ユニシスに見るメインフレームコンピューターからパソコンへの移行」など、まさしくパースペクティブが「つながっている」事例が紹介された。

その後は、アジアチームが学長と懇談。

多摩学チームは久しぶりに全員が揃うが、論文を書くための生みの苦しみ。みんな1-3枚程度は書いてくるが、まだまだゴールにはほど遠い。今月中に、目次にしたがって、自分の分をA4、最低10枚書いてこい!と檄を飛ばして解散。

中里介山と白洲次郎を追っているわけだが、二人とも、時代が異なるが、人気を博して受け入れられた人物だ。両者の「なりたいと思った人物像」「なりたくないと思った人物像」を析出することで、背後の社会思想の特徴が見えてくるのではないかと、諸橋先生の大きな示唆をいただいた。私自身も、それを追うことで、歴史主義的な社会改革運動が日本でどのように解釈され受容されたのか、その影響要因が見えてくるかもしれないという予感をもっている。と諸橋先生に話すと、「私もそう思います」と同意いただいたのだが、これって院生レベルの力量が必要?
ということで、個人的にはおもしろくなってきているテーマなのだが、論文を書かせる教員としてはまだまだ一山も二山もありそうな多摩学でした。

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